

(注)作詞の「宗像まさとしさん(故人)」は、元天草切支丹館(本渡)館長、作曲の「橋本亜三生さん」は、元天草高校教諭、歌唱の「見咲えつ子さん」は、本渡出身、天草高校の卒業生です。
 |
天草・島原の乱のあと、幕府は、天草を直轄地にすることを決定。
寛永19(1642)年9月20日、天草の乱にも従軍した鈴木重成(すずきしげなり) が代官に任命された。鈴木重成はキリシタン絶滅と戦災からの復興に力を入れた。重成は曹洞宗派の禅僧である兄の正三(しょうさん)に協力を依頼し、神社寺院を建立して島民の強化をすすめた。
また、重成は検地を行ない、4万2,000石とされた石高を実高の21,000石(半減)と改めるよう幕府に自刃して、直訴しました。
重成のあとは養子で兄の子である重辰(しげとき)が代官職を継ぎ、重辰も石高半減を訴えつづけ、幕府は、万治2(1659)年、再検地を行わせ、表高を2万1,000石としました。農民たちは、その遺徳と仁政を忘れまいと、島内30余の地に、鈴木神社を建立し(写真は、本渡本町の宗社の鈴木神社)、重成・正三・重辰を天草の守り神として、現在でも「鈴木さま」と親しまれ祀られています。天草を救った代官・鈴木重成の説明は、下記を参照してください。
①天草を救った鈴木重成公
②荒れた天草を立て直し、民衆を救った代官
③鈴木三公を祀る鈴木神社 |
天領音頭は、関東あまたか会総会・友好の集いで、参加者全員での踊りに使用されています。 |